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2019年7月 5日 (金)

すごいストーリー

島旅と一切関係ないけど、骨太なすごいストーリー。

 

島からもどった老人との奇跡の出会い。
これはノンフィクション。

明治9年のある日。みすぼらしい老人が、
神奈川の野村氏のもとを訪ねて、こう話し出した。
『わたしは昔、吉田先生と同じ獄舎にいた、沼崎と申します。
 先生が処刑される前日に、この冊子をお作りになって、
 わたしに、こんな事を言ったんですよ。

 “この冊子はすでに故郷に送ったのだけど、
 もしかしたら滞ってるかもしれない。
 そこでもう一つ作ったこの冊子を、あなたに託します。
 明日私は処刑されますが、あなたが自由の身になったら、
 これを私の故郷の出身者に渡して下さい”と。

その後わたしは三宅島に流され、最近ようやく戻ることが出来ました。
たまたまあなたが、先生の出身地の方だとお聞きしたので、
今日この冊子を渡しに着たんです。』

野村氏はびっくりして、
その冊子を開くと、間違いなく見覚えのある、先生の筆跡。
野村氏はこの沼崎と言う老人に、
『実はわたしは、先生の門人だったんですよ。』
そう伝えると、老人はたいそう喜び、
獄舎での日々を語って聞かせてくれ、
他にもいくつかの文章や手紙を取り出し、
それを野村氏に渡した後、
風のように去っていったのである。

 

この不思議な出足で始まるストーリーが、なぜ“奇跡”なのか?
ここに登場する先生とは、吉田松陰の事。
野村氏は松下村塾で松陰に付き従った、野村靖(当時は和作)。
松陰が処刑されてから、実に17年目のこと。
偶然手渡された人が、まさに松陰の信頼を寄せた門人。
この老人は、いったいどうやってこの冊子を、
一字も損なわず伝えることが出来たのか。
獄舎を出た後も、島流しにあい、
そして17年もの歳月が流れて。

 

松陰はもう一冊、この冊子を萩に送っている。
ただし、長州には確かに届いていたようなのだが、幕末の戦乱で紛失。
このあたりは、吉田松陰と言う人の用意周到ぶりと言うか、
執念を感じずに入られない。
さらに、獄舎の中で、この沼崎なる人物をどう選び抜いたのかは定かでないが、
間違いない人選出会ったことは、歴史が証明していることになる。
ちなみに、野村氏に冊子を手渡したその後、
沼崎の消息は全くわかっていない。
まるでこの役目を果たすためだけのように。。

 

と、言うことで、
この松陰が死の前日に書き留めた、
遺書とも言うべき冊子、〔留魂禄〕が世に出た経緯でした。
吉田松陰が処刑されたのは、30歳(数え年)のとき。
この年にしてすでに、清々しい中にも凄みのある死生観を持ち、
また、死後もその魂は間違いなく継承されている事実を知ると、
震えが来るほど、肌が泡だった。

 

この魂が、山口出身の政治家を良い方に揺さぶってくれるのでは。

 

2019070511200000

 

追記
毎年夏に行く鹿児島の島旅。
せっかく車で行くのだから、今度は萩にも寄ってみたいと思った。
それにしても、雨は大丈夫だろうか。
⇒南さつま野間池は雨の被害は大丈夫とのこと。
ただ、あっちこっちで通行止めのところがあると。

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