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2019年1月 8日 (火)

黒潮が生んだ奇跡

黒潮が生んだ奇跡
 1月7日黒潮流路 

 

日本沿岸を通る暖流黒潮。
画像は7日の黒潮流路図。
トカラ列島を通った黒潮は、九州東を北上し四国に接近。
足摺岬沖を東に流れ、紀伊半島には接岸せずに大きく蛇行。
近年の典型的な黒潮蛇行の流路。

幕末の動乱を生きた、土佐国出身のジョン万次郎も、
この蛇行する黒潮に運ばれ、一気に鳥島まで流されたことになる。
早いところでは時速3ノットを超える黒潮。
帆柱も折れ、櫓もなくなれば後は流れに身を任せるしかない。
黒潮が、もし蛇行流路を取っていなければ鳥島まで行けないわけで、
するとジョン万次郎も存在しない!
そうなると、小笠原諸島もアメリカ領土になっていた可能性が大だ。

当時小笠原にはハワイ島からとアメリカ本土からの人が既に入植していた。
そこに水野忠徳率いる一行が外交交渉を行い日本領と認められる。
その航海補佐と通訳補佐がジョン万だ。
ん〜ん、もし小笠原が日本になかったら、
とんでもない海洋資源の損失。

そんなジョン万次郎の小説がこちら
    ↓↓

黒潮が生んだ奇跡

よくよく考えてみても、
とてつもない資質をこの少年は内に秘めていたのだと思う、
勤勉さ、遠目(視力)、健康で強い体、料理、
算術言語をすぐさま理解する能力と好奇心、
そしてこれらすべての土台が、
素直さと自らの境遇への感謝の心にある。

在所の土佐国宇佐浦を出た船が時化に遭い、
黒潮に飲み込まれ無人島に漂流。
150日間の無人の島での生活後、アメリカの捕鯨船に救助された。
ここまでだったら、分かる気がするのだが、

少年はその素直さゆえに、
砂に水がしみこむように色々なものを身につけていく。
船長ホイットフィールドにその資質をかわれた少年。
船長とともに捕鯨船の基地アメリカ東海岸の
ニューベッドフォードに戻り、そこでの生活が始まった。
少年は16歳にして初めての学校。地元の小学校に入学だ。
二ヶ月で小学校を卒業し、
その後上級航海士を養成するバートレットアカデミー校に進む。
入試の成績は、87人中上位三番!

もちろん頭も良く資質もあったんだろうけど、
それだけでは説明が付かない事がある。
ホイットフィールド船長の視点で見てみれば、
無人島で救助した異国の少年を、自分の国につれて帰り、
自分の子供同然に住まわせ、教育し学校に通わせる。
やはりあり得ない。
バートレットアカデミー校入学前に、船長はマンジロウにこう言った

『おまえのことだからきっと国に帰るのだろう。
母や家族、ホノルルの仲間を思う気持ちが強いことはよく分かる。
それはとても大事なことだ。
しかし、マンハッタンの港に出入りする船舶に、ジャパンの噂をいくつも聞いた。
いまジャパンはサコク政策で外国に出た日本人も帰れない。
政策が何年続くか分からないが、今は時を待て。
それにはバートレットアカデミーで学ぶことだ。
ただの水夫ではおまえの才能の無駄遣いになる。』

無人島で救助した異国の少年に、ここまで話してくれる船長。
少年は鳥島で救助されたとき、英語を話せ無いどころか、
日本語の読み書きすらままならない、貧しい漁村の子供であったのだから。

家族思いで勤勉で、誰からも愛される素直な性格の日本の少年が、
人格者で洞察力に優れ、人望のあるアメリカ人の船長と出会う。
一言でいえばこうなるが、信じられない奇跡の出会いだ。
“黒潮の生んだ奇跡”ってことなんだろうね。

 

 

 

追記
さてその黒潮の影響が大きいのだろうけど、
伊豆半島周辺の海水温偏差図(例年と比較しての温度差)を見ると、
例年より三度も高いのが分かる。
こりゃ海藻なくなるわけだよ。

黒潮が生んだ奇跡
1月7日の海水温偏差図

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