われらは星屑
「人は夜空を見上げるとき、永遠を想う」
このセンテンスが何の本であったのかは覚えていないが、
初めて読んだときから妙に気になるというか、なるほどな〜と思ったもの。
島旅で、いつも満天の星空を見上げるから、こう思うのではない。
むしろ島では、明日の天気を気にして空を見るから、
こんなロマンチックな感情になったためしが無いというか、
それどころでは無いと言うのが現実だ。
でも、一度だけ、南九州の無人島でキャンプをしていた時の経験。
(すばらしい魚影が島周りに残る、
そんな無人島でダイビングをするためにキャンプをする企画)
ベースキャンプで深夜1時か2時頃、ふと目を覚ますと、
天空一面が、喩えようもない星屑で埋め尽くされているのをぼ〜と見ているとき、
まさに、宇宙と自分との境界がなくなったような、
そんな時空を超えた感覚になったのを覚えている。
迷信も、神の存在もあまり信じない自分としては、
科学的にコレはどう言うことなのか?と思わずにはいられない。
その答えというか、ヒントが、少しだけわかった。
前にも何度か書いた、“エッジ”の科学者に対しての質問、
『あなたのお気に入りの、深淵で、エレガントで、美しい説明は何?』
これに答えた149人の美しいセオリーをまとめた本がある。
その中に、“われらは星屑”というタイトルの説明があって、
難しいことはわからないが、
私たちの90%は星の残骸で出来ているのだそうだ。
人体中の原子の大部分は、大昔に燃え尽きた星たちの中で、
より小さな粒子が融合して出来たものだという。
無数の原子が凝集して惑星となり、
生命と言う名の不均衡が、それらの原子をかき集めて出来たのが人間。
私たちはみな、星屑の寄せ集め。
星屑である私たちは、夜空の他の星たちの輝きを目にすることが出きる。
何光年遠く離れていても、私たちは実は星たちときわめて近い存在。
見るものすべては星の中で生まれた。
文.わじま・でんいちろう
来年の夏はこの星空を見上げにいきたいものだ。
2019年夏・南九州無人島ダイブサファリ