« 【屋久島のとなり、小さな島の丘の上の宿】その1 | トップページ | 島での星空物語 »

2018年1月10日 (水)

【島と月と海と】その1

【島と月と海と】その1

最近夜空を仰ぎ見ていますか?

“人は夜空を見上げるときに、初めて永遠を思う”
誰の言葉かは忘れたけど、
いま自分が生きている時間とは別のスケールを、漆黒に輝く星々、月から感じるのだろう。

現代人が夜空を仰ぎ見なくなったのは、
空が狭くなってしまったこと、夜が明るくなった事があげられる。
見上げてもビルや電柱、建造物がこう多くては、実際に見える空の面積が小さいし、
夜でもこうこうと電気で照らされる世の中では、まず夜空に輝く星自体に関心が向かない。

そう言う意味では自分は一般人?よりは見上げることが多い。
それは特に月の形をみるからだと思う。
『ああ、今日も星がきれいだなぁ』
て言うのは近い将来の天気を予測する上で、誰もがすることだと思うけど、
『だいぶ月が欠けてきた』とか
『もうすぐ朔だ』てのは
カレンダーが普通にある世の中では、人々が感じる機会が少なくなって来たのではないかな。


〔月の満ち欠けと海の関係〕
月の満ち欠けは朔望ともいって、太陽との位置関係できまります。
あなたから見て、月が太陽と同じ方向なら朔(新月)といって見えない。
反対なら望(満月)だね。
そして引力がより大きく働くために、海の干満の差も大きくなるのが、この新月と満月の時。
つまり、お月様がまん丸の時はその前後は干満の差が大きく大潮となる。

けど、月がまん丸なら誰でもわかるでしょ。
問題は朔(新月)の日。
月が見えないのは曇っていて見えないのか、ビルがじゃまで見えないのか、
はたまた新月だから見えないのか区別が付かない。
そこで、日頃から空を仰ぎ見ていれば分かると。

当たり前だが、突然月がまん丸になったり、いきなり消えてなくなるわけではない。
徐々に少しづつ、満ち欠けを繰り返すわけ。
だいたい周期で言うと、ホントにざっくり言うと、
新月からだんだん満ちてきて、満月になるのには15日(15夜の月とかのあれだ)。
つまり新月の7〜8日後は半月(上弦の月)となり、そこから7〜8日後に望月(満月)となる。
こういう月の満ち欠けの周期年齢のことを月齢と言います。

今年の1月の朔望を見てみると、
元旦が満月で(お、めでたいね)、8日が下弦の月。
16日で新月となり、24日は上弦の月(半月)。
これに海の干満を当てはめてみると、
1/4までは大潮(干満差が大きい)が続き、その後中潮となり、徐々に干満差が小さくなり、
下弦の月の翌9日から12日位までが小潮(干満さ小)となる。

どうかな?ついてきてますか?

簡単に言っちゃうと、新月満月の近くは大潮で、
上弦下弦の半月の時は小潮となる。
当然ながらこう言った潮回りも、いきなり起こるのでなく徐々に、
小潮→中潮→大潮→中潮→、と移行することになる。
干満差が大きい大潮の時には、海でも色々な現象が起こると言われます。
まず第一に、生物の産卵の周期は大潮周りが多いとされます。
これは一番潮が動くため、より遠くまで生命を運び生存率があがるからではないかと言われます。
第二に干満差の大きい大潮回りでは、潮流が強くなることが多く、魚が活性すると言われます。
まぁ、魚にとっても流れのない、たら〜とした潮の日が続くと、息苦しいのだろうね。
流れが出てくると、気々として潮に乗ってくる餌を食べてるもん。

つまり、月の形を見ることで潮回り(大潮〜小潮)も大体に想像できるから、
月は非常に重要な情報源と言うことだ。


そんなわけで、朔望と海はきっても切れない関係だから、
あなたも日頃から夜空を仰ぎ見て、その満ちかけから海の中を想像してみてね。

次回は月の名前にに付いてふれてみようと思います。

追伸
先月に西伊豆の土肥沖魚礁に潜ったときは、とんでもなく流れてた。
今月末にも予定しているけど、その日の月の形はどうかな?

« 【屋久島のとなり、小さな島の丘の上の宿】その1 | トップページ | 島での星空物語 »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 【島と月と海と】その1:

« 【屋久島のとなり、小さな島の丘の上の宿】その1 | トップページ | 島での星空物語 »