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2017年3月30日 (木)

八丈小島の歴史

八丈小島の歴史
無人島の中には、昔からずっと無人島であるのと、
最初は人が住んでいて、その後無人島となった島がある。
昔から無人の島は、そもそもが小さすぎて住めないとか、
自然環境が過酷すぎるなどの理由があげられるが、
では、最初は有人であったのに、その後無人島となったのはどうしてなんだろう?


八丈小島は八丈島の北西7.5kmに浮かぶ小さな小さな無人島。
画像でも分かるように、形はピラミッドみたい。
小さいのに標高は616m もあるからだ。
極めて住みづらそうな地形であるにも関わらず、
1969年までは有人島であり、ピーク時の人口はなんと513人!
島には鳥打村と宇津木村の両集落があり、
昭和30年代には村議会を置かずに選挙権を
持つものによって村政に関わる議決を行う、
直接民主制が行われる日本唯一の村であった。

島の生活は、椿油用のツバキや養蚕用のクワの栽培、
テングサ採取や漁業で、米はとれないので八丈島から購入。
電気は島内の発電機を使うが、各戸に40w電球1個ほどの明るさしか供給できなかったようだ。
電話は、1955年に毎日1時間だけ通話できる公衆電話が設置されるまではなく、
飲料水も雨水に頼る状況。

このような中、やはり過疎化が進み、1969年、全国初の全島民完全移住となった。


と、史実を簡単に書いてみたが、離島時点でも小島には24戸91名もの住民がいた。
はたからでは厳しい環境での生活のことだけ目に映るが、
きっと住み慣れた島を離れ、対岸とはいえ八丈島に移るときは、船の上で感慨深かったことだろう。


現在も鳥打と宇津木には港の後があり、漁船で上陸可能。
島には崩壊した建物の後が寂しく残っている。

追記
八丈島から非常に近い小島だが、
50年ちかく無人島であるのと、
八丈島との間の瀬戸の潮流が早いため、
非常に魚影が濃い。

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