お・も・て・な・し
明日はクリスマス会、そして12月半には今年最後の島旅、与論島です。
そのヨロンへの飛行機の中で読もうと、かねてより興味があった、千利休の関連本を買った。
“利休聞き書き”〔南方録 覚書〕
この南方録、正確には利休が書いたわけでなく、お弟子の南坊宗啓が聞き書きしたもの。
とされているが、実はこれも微妙で、
この秘伝書の第一発見者の立花実山が創作したものではないかと言われている。
この辺のことを初めて知ったわたしは、若干ショックを受けたが、
読んでみると興味深い内容が随所にあり、誰が書こうと面白い物はおもしろい、と納得。
ところで、なんでアウトドアな仕事一辺倒のわたしめが、インドアの究極とでも言うべき茶道?、
それも、わび茶を大成させた利休に興味を持ったのかと言うと、
1つは、当時のおもてなし精神とはなんぞや?と思ったから。
時代が違ってもきっと為になることがあるに違いない。
いや、違いないどころか、あるに決まっていると。
もう一つは、利休そのものが謎多き天才だから。
たかだか茶人である。にもかかわらず、あのように登りつめ、果ては文人なのに切腹させられるとは。
(何で突然秀吉に嫌われたのか?)
しかも、400年以上たった今でも、茶道は脈々と受け継がれているわけで、
コレを不思議と思わず、何を不思議と思うかって感じです。
さて、この本は利休と秀吉の経緯や、第一級の茶人としての繁栄ぶりなんかは出てこないで、
利休の考えるところの茶の湯とは?と言うことが書かれている。
まだ途中までなんだけど、読んでいてふっと思ったのは、今現代にこの心得やおもてなしを解する人って果たしているのかいなってこと。
例えば、朝の茶会だけでなく昼でも夜の茶会でも、水は一番鶏が鳴く前(四時〜五時)に汲んだ名水を使うのだそうだ。
お天道様が高く上がってからはダメなんだって。
暁の頃の水が、もっとも陽の気の水だから。
また、炭で湯を沸かすんだけど、沸いた水の状態に全部名前が付いている。
小さな気泡が出てきた頃合い何々。沸騰し始め何々、ぐらぐらした時何々というふうに。
コレを、新茶のころはこれこれの湯で、
季節が進むと茶の気が薄れるから、沸いた湯に水を差したり。
さらには、朝の茶会だとすると、なんと明け方前に来るお客さんもいるんだとか。
理由は、炭が起こるところ、釜が濡れているところ、そんな手前を楽しむのだそうです。
いまだったら、ふざけんな!って感じ。
ゆえに主人(ホスト茶人)は、それを見越していつ来られてもよいように、
前倒し前倒しでめちゃめちゃ早くから整えなければならんらしいのだ。
ところで、当然ながらこの時代は井戸水か湧き水。
だから水がカルキ臭いなんてある訳ないよね。
また、日頃から、マックとかファーストフードなんて食べないし、化学調味料自体ない。
だからだと思うんだけど、当時は出されたお茶の味の微妙な違いも、
舌で実際に分かったんじゃないのかなぁ。
つまり、濃い味や化学調味料に汚染され、
芳香剤や消臭剤、柔軟剤の匂いしまくり衣類をずっと身にまとっている我々には、
そんな微妙な違いはまるで分からない。
しかし、
当時の人がこの微妙な違いを、みんながみんな分かったわけではないと思う。
茶の温度や水の質、路地(庭)の湿り具合に茶室の花の意味。
これらをすべて解するセンスをお持ちの方も、そうは居なかったのではないかと。
で、肝心な秀吉さんは、
ぜっってー分かっていなかったろうね。
だって彼は足軽農民出身だから。
んで、もしかしたら、
秀吉『利休って腹んなかでワシのことバカにしてねー?』
と思ったとか思わないとか。。
いやいや、色々考えると楽しいよ。
最後に参考になった箇所。
お客さんの気持ちに叶おうとし過ぎてもだめで、
お客さんも、主人のおもてなしの心に叶おうとし過ぎてもダメなんだとか。
(「これは素晴らしい茶器ですな」みたいな見え透いたほめ言葉とかかな)
つまり、演出も準備万端し過ぎずに、さりげなくお互いが心地よい具合みたいな感じ。
いつの時代も感激するときってのは、「思いもしなかった」ことが起きたときなんだろうね。
さぁ、明日のクリスマス会で生かせるかな?