島で「永遠」を思う。
南九州の無人島の一つ宇治群島に行ったときの話。
群島と言うからには一つではありません。大きく言えば、家島と向島のふたつ。
それに小さな岩礁に「〜島」と名前がついたものがいくつか有り、宇治群島。
串木野市からチャーターボートで2時間ほどで着く無人島。
無人島だけど昔は漁業者が季節的に住んでいたため、接岸出きる港がある。
船の動力の発達等により今は無人となり避難港となっています。
そんな無人島の宇治群島に毎年通ってた。夏のイベントで無人島に上陸しての二泊三日。
【南九州無人島ダイブサファリ・大人の夏休み】
とにかく水から食材、テントにコンロとかなりの荷物を船で持ち込む。
当然ながら持っていく荷物は使うんだから島に下ろすわけ。そして終わったら片付けてまた船に積み込む。
これが一仕事でね。まったくもって遊ぶどころではない。
でも、でも、すこぶる楽しいのである。
物も足りない、電気もない、そんな所だからこそ分かること、気がつくことがたくさんある。
そしてなにより海がい〜のなんのって!
ちょっと他ではお目にかかれない位すばらし海が、港の目の前から広がっている。
ひとたび水中をのぞけば、まるで川のようにとめどなく流れるタカサゴの群れ、
視界が一面オレンジになったかとみまちがえるようなキンギョハナダイの群れ、
当り一面が雲のように、はたまたその群れが一つの巨大な生き物のように感じるほどのキビナゴ。
そしてそれを補食する鰹に勘八。
そんな素晴らしい海と自然たっぷりな陸上に、大人達が子供に帰って楽しむ企画だ。
さきほど、遊ぶどころではない、なんて書いたけど、意外に時間もいっぱいあるんだよね。
そりゃそうだ、テレビもなきゃ携帯も圏外なんだから。まったくもってわれわれ大人達は、この文明二大発明品に時間を搾取されているのがわかるよ。
この二つがないだけですごく余裕が生まれ、島時間がゆったり流れる。
その代表的なのが星空観察。星空観察といってもココは無人島。べつに観察に出掛けなくたって、天を見上げれば、いや、正に目の高さからの言い様の無い天体ショー。
初めて見たときは、そのスケールに放心状態になった。なんだか時間と距離と言う別軸が一つになる感覚と言おうか、浮いてしまいそうと言おうか・・・
あ〜あ、こう言うときボキャブラの無さを痛感するね。どうもしっくり来る表現が出てこない。
そんなおり、ある本にこんな一節があって妙に納得してしまった。
『人は夜空を仰ぐとき、はじめて深く永遠を思う』
なるほど是だったのね、あの時の感覚は。
追伸
今年は無理だけど、来年はまたあの星空を見に、無人島に出かけたい。