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2014年12月10日 (水)

比べると損をする話

比べると損をする話
島旅と島旅の間に読んだ本。風姿花伝に素晴らしく為になる事が書かれていた話はしたと思います。

人に対して、不平不満を口にすることがいかに無意味かを教えてくれました。

あ〜なさけなや、なさけなや

風姿花伝に、
『いかなるおかしき為手、上手もこれ学ぶべし』

『われより下手をば似すまじき、』

と言うくだりがあります。これはどんなにヘタな為手(シテ・役者のこと)にも必ず良いところがあり、そこを注視しないと意味ねーぞと言うこと。また、上手くなってきて『あのようなヘタから学ぶべき事はない』なんて思う奴はもう芸は止まるね。とはっきり書かれていました。

よく考えればダメなとこばーかり見ても、全く意味ないのにね。だいたいダメなとこ見ても自分のためにならないもん。


これと同じ事を森信三先生がもう少し詳しく述べています。

ここからは、わたしと同じように[人のことをよく批評してしまう人]はさらに為になるからね。

「あの人のここがイヤだ」
「こんな事言うんだもん、信じらんない」

「なんでこうする、あーする」

こう、よく思っちゃう人はいませんか?


『、、大別すると3つの態度があります。一つは相手の欠点だけを鋭く見る立場。いわいる悪口であり、あら探しですな。
次は長所と短所とを公平に比べてみると言う立場。いわゆる正しい意味での批評と言うものです。
そしてもう一つ、短所の方は見ないで、その長所や美点を主として見るという立場です。』

いいですか、付いてきていますかね?

『最初の、短所のみを指摘するという態度は、ほとんど何も自分に益するところがないといえましょう。
自分の身の程も忘れて、ただ相手の欠点のみを指摘する態度は、相手を傷つけるにとどまらず、実は自己を害するものといえます。今さら申すまでもありません。そこで次は、』

『そこで次は正しい意味での批評という立場です。この立場が何故いけないかと言うと、、、』


『それが単なる物に対する知識の場合はいかにも正当であると言って良いでしょう。しかるにそれが、対人関係における態度となると一見もっともらしく見えながら、そうではないことが分かってくるのです。、、、』

まだ終わりでないですよ。


『そもそも人間の長所短所を並べると、結局プラスマイナス0になるわけです。仮に長所の方が強い場合でも、相殺しあって残った+は微々たる物です。
ですから、→相手から自分の心の養分を真に吸収しようと思ったら、かように傍観的では何も得られないのです。←』

【とにかく自分は懐手をしていながら、人の長短をとやかく言うているのは、心に余裕があって真の真剣さには至ってない!】

【せっぱ詰まって、どん底に落ちてみないことには、その高慢な独りよがりは直りにくい物だからです。】

あイタたたた、、

ズボシだ、、


長いからみんな忘れても、このキワだった例え話を最後に覚えておこう。↓↓↓


【それはまるで、聖人を前にしても臀部を見ているのと同じこと。】

【聖人にも肛門はあります。】


人は言葉によって作られと言いますから、よくよく注意しないといけないですね。


《追伸》
でも画像のこれは、やっぱり比べちゃう。
島旅に乗っけてくれる東海汽船の新艇{橘丸}。前の船と段違いに快適!

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