島旅と「食」について。
島旅に限らず、旅の思い出って「食」がかなりのウエイト占めませんか?
伊豆七島だったら、クサヤ、島寿司(べっこう寿司)、あしたば、鰹、メダイ、、、あ〜〜、八丈の鰹が食べたい。屋久島なら首折れサバ、ハガツオ、三岳、、、そりゃ酒か。沖縄は、海ぶどう、豆腐ヨウ、チャンプル、ソウキそば、瑞泉、、またか。
まだまだ続く
奄美なら、油そうめん、鶏飯、粒味噌、ミキ、浜千鳥、、やっぱり。南さつまは、鰹、秋太郎(カジキ)、ヒゲナガエビ、、これうまかったなぁ〜、そして、、もういいね。
つまりなにが言いたいか
そうやっぱり「旅」=食べ物。「食」=思い出。ではありませんかいって事ですよ。
わたしはゲストをご案内したり、実際にバーベQしたりの方なので特にここは気になります。
そこで、おもてなしの心を学ぶ上でも予てより気になっていた【典座教訓】を読んでみました。
典座教訓は日本の禅の祖、道元禅師の書かれた書。典座とは禅寺において食事全般をまかなう仕事を担う僧の職です。
そもそも一番読みたかったのは次のエピソードを何かの本で読んだからです。
禅師が中国のとある港で許可待ちのために停泊していると、一人の老僧が船に干し椎茸を買いにきます。聞けば69才で20キロの道のりを渡ってきたと。
禅師が尋ねます。
『貴方ほどの長い修行を積んだ方なら、典座職は他にもいらっしゃることでしょう。どうして婦女子のような事を今もやっているのでしょうか?』
老僧が笑って答えます。
『日本から修行に来た青年よ。貴方は何もまだわかってないのだの』
次のような話もあります。
炎天下の日向で黙々と老僧が椎茸を干しています。顎から汗が滴り、背中には弓の様に曲がった背骨。年を聞くと61歳。あまりにも大変そうなので禅師が声をかけます。
『老僧、このような暑い時間でなくとも、また他にも代わりの僧がいるでしょう』
すると老僧が、
『彼らはワシではない。』
『物には何でも時、旬があるものじゃ。今がその時』
このような体験が後に道元禅師に典座の大切さ、その職自体が禅であると典座教訓につながります。
で、読んでみました。
やはり、何事も手を抜いてはいけませんね。真心思って職を全うすることが修行であり自らを高めてくれる。そして現代の飽食の時代だからこそ、『足るを知る』と言うこと。とてもとても為になる典座教訓でした。
今回読んだ典座教訓は、実際に長年典座職を勤められた藤井宗哲老師の現代語訳とご自分の典座職の話、それにお寺で出される食のレシピも載っていてとても参考になります。
意外だったのは、そのお料理がどれも大変美味しそうな事。言うまでもありませんがとても優しそうなお料理です。
《追伸》
やはりお料理の基本はおもてなしの心ですね。つくづく食べ物は粗末にしてはいけません。