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2014年11月

2014年11月29日 (土)

久しぶりの八丈島

久しぶりの八丈島
久しぶりの八丈島
11月18日〜20日で八丈島に行ってきました。久しぶりです。1年ぶりかな。海も綺麗で天気も良く、『こりゃ冬にも来ようかな』と思っちゃったね。

今回も宿泊は[そこど荘]さん。あなたが八丈にまだ行ったこっとがなくって、『今度いこうかな〜』って考えているなら、宿泊は迷わず[そこど荘]にするといいよ。館内はとっても清潔。塵一つ落ちてない。お料理もとても丁寧な仕事ぶり。もちろん美味しいしね。


八丈島に行くと必ず寄るところがある。温泉ももちろんだが、今日はそれじゃなくって総菜屋さんをご紹介。[わが屋]と書いて[わがい]と読む。ここには必ず寄ります。決まって温泉の前かな。今回は帰る日にもよっておやつに。


いったい何を買うのかと言うと、、、


フライです。

揚げ物ですね。特にここのメンチが美味しいんですわ。いつもその場で揚げてもらって店内で頂かせてもらってます。別にイートインコーナーがあるわけじゃないんだけどね。お母さん椅子まで出してくれちゃってね。


今回も、『あ、久しぶりだね』とお母さん。閉店するつもりだったみたいなのに、『揚げるよ』と言ってくれて。

メンチ5個、トビ2個を揚げてもらいました。

やっぱメンチはすばらしい。中からジュワ〜とお汁が出てくる。

『いつ来たの?』とか、『海寒くない?』とか、他愛もない会話なんだけど、なんかここのお母さん可愛くってね。だからかメンチも優しい味だね。


典座教訓読んでから『お料理』にすごく注目するようになった。まぁもっぱらわたしは食べるほう何ですがね。お料理は人が出ますね。

さて、明日は初島です。

2014年11月 9日 (日)

あなたは生涯やり抜く事が出来ますか?

あなたは生涯やり抜く事が出来ますか?
昨日とても良いことがありました。それはね、


会長がお店に遊びに来てくれたんです。
このブログにも勝手に何度か登場させましたね。確かその時に『会長は死んではいないが、、』とか、『棺桶片足入ってはいるが、、』など褒めといた?のが伝わったのかな。(会長が何者かは過去のブログをご覧ください。)

でも相変わらずのトボケっぷりだったんですよ、、

昨日の午後八時。店内はお客さんもいなくてわたしとスタッフだけ。自動ドアが開きます。

エッライお爺さんが杖ついて入ってこられました。

爺『あの〜、スノーケルの使い方教えてください。』

私「あ、は〜い」

爺さん何やらやたらニヤニヤしてます。


ん、ん!、ん?


「かいちょーーーー!」

まんまと騙されましたよ。だってすごい痩せちゃってから会うの初めてだから、全然、ぜんぜんわからなかったよ。

会長そうとう楽しかったらしくて、してやったり。。
このあと茶でも飲みながら色々話しをしました。


でもやっぱり、たいした人です。

闘病により体重は半分くらいじゃないかな。『まだまだお前たちには負けんぞ』とよく言っていたように元気なときは相当な腕力。腹に力が入らないから声もか細くってね、、、
そんな状態だから横になっている方が楽だろうし、すぐに疲れちゃうと思うんだけどワザワザ遊びに来てくれた。

しかも、トボケた怪しい爺になりすましてね。会長の人を楽しませる姿勢には頭が下がります。これがあの人の矜持なんだろうなぁってつくづく思いましたよ。あらためて自分の仕事は『お客さんを楽しませること』と言うシンプルなところを再認識しました。


会長、ありがとね

画像はわたしが20代後半〜30位の頃の会長とのツーショット

2014年11月 6日 (木)

島旅と「食」について。

島旅と「食」について。
島旅と「食」について。
島旅に限らず、旅の思い出って「食」がかなりのウエイト占めませんか?
伊豆七島だったら、クサヤ、島寿司(べっこう寿司)、あしたば、鰹、メダイ、、、あ〜〜、八丈の鰹が食べたい。屋久島なら首折れサバ、ハガツオ、三岳、、、そりゃ酒か。沖縄は、海ぶどう、豆腐ヨウ、チャンプル、ソウキそば、瑞泉、、またか。

まだまだ続く

奄美なら、油そうめん、鶏飯、粒味噌、ミキ、浜千鳥、、やっぱり。南さつまは、鰹、秋太郎(カジキ)、ヒゲナガエビ、、これうまかったなぁ〜、そして、、もういいね。

つまりなにが言いたいか

そうやっぱり「旅」=食べ物。「食」=思い出。ではありませんかいって事ですよ。

わたしはゲストをご案内したり、実際にバーベQしたりの方なので特にここは気になります。

そこで、おもてなしの心を学ぶ上でも予てより気になっていた【典座教訓】を読んでみました。

典座教訓は日本の禅の祖、道元禅師の書かれた書。典座とは禅寺において食事全般をまかなう仕事を担う僧の職です。

そもそも一番読みたかったのは次のエピソードを何かの本で読んだからです。


禅師が中国のとある港で許可待ちのために停泊していると、一人の老僧が船に干し椎茸を買いにきます。聞けば69才で20キロの道のりを渡ってきたと。

禅師が尋ねます。

『貴方ほどの長い修行を積んだ方なら、典座職は他にもいらっしゃることでしょう。どうして婦女子のような事を今もやっているのでしょうか?』

老僧が笑って答えます。

『日本から修行に来た青年よ。貴方は何もまだわかってないのだの』

次のような話もあります。

炎天下の日向で黙々と老僧が椎茸を干しています。顎から汗が滴り、背中には弓の様に曲がった背骨。年を聞くと61歳。あまりにも大変そうなので禅師が声をかけます。

『老僧、このような暑い時間でなくとも、また他にも代わりの僧がいるでしょう』

すると老僧が、

『彼らはワシではない。』

『物には何でも時、旬があるものじゃ。今がその時』


このような体験が後に道元禅師に典座の大切さ、その職自体が禅であると典座教訓につながります。

で、読んでみました。

やはり、何事も手を抜いてはいけませんね。真心思って職を全うすることが修行であり自らを高めてくれる。そして現代の飽食の時代だからこそ、『足るを知る』と言うこと。とてもとても為になる典座教訓でした。


今回読んだ典座教訓は、実際に長年典座職を勤められた藤井宗哲老師の現代語訳とご自分の典座職の話、それにお寺で出される食のレシピも載っていてとても参考になります。


意外だったのは、そのお料理がどれも大変美味しそうな事。言うまでもありませんがとても優しそうなお料理です。

《追伸》
やはりお料理の基本はおもてなしの心ですね。つくづく食べ物は粗末にしてはいけません。

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